やどかりとペットボトル

 僕は誕生日のある月を前にすると,きまって鬱になったものだ.蝋燭の炎を吹き消す瞬間に,母が魔女のような声色を使ってこう言ったことを今でも思い出す.
「さあ,命の火を吹き消しなさい」


(中略)


「命というものは減っていくからこそ尊いのよ.あなたが消さなくても蝋燭はどんどん小さくなっていくでしょう」
 勇気のない僕はじっと蝋燭を暗がりの中でみつめるしかなかったが,蝋燭が短くなっていく現実を目の前にして,ついにその恐怖で絶叫してしまうのである.誕生日はそのような儀式の日だと信じていた.
「蝋燭を消すまではご飯を食べてはいけません」
 母の叱責の声と僕の泣き声が混ざる,壮絶な誕生会が毎年繰り広げられていたのだ.


 誕生会が「壮絶」って.しかも毎年かよ.なんて嫌な家庭なんだ.爆笑した.
瞑想に耽って子供に関心を示さない母親や,人形を母親の姿に似せて世話をする子供など,幼少時代の話は正直薄気味悪くて怖い(もしかして笑うところだったのか?).しかし読み進めて行くうちに気味悪さを突き抜けて面白くなってきた(気味が悪い話は幼少時代ぐらいで,ほかの時代は普通に面白い).


 電話をかけるには免許がいると嘘を教えられ,無線電話技師の講習会に放り込まれる話や,買い物帰りのおばあちゃんをバイクで拉致し,ホテルのディナーに行く話なども笑える.お気に入り.


 祖母との思い出には事欠かない.ばあちゃんと積極的に遊べると気づいたのは中学の頃だ.
 部活の練習を抜け出して,夕食の準備をするばあちゃんの背後からコブラツイストをかけるのが日課だった.


 ばあちゃんと遊ぶ,ではなくて,ばあちゃん「で」遊ぶの間違いじゃないか?ひどすぎるwばあちゃん命がけじゃないか.

やどかりとペットボトル