アルフレッド・ベスター - 虎よ、虎よ!

「SFを読んでいる」というのは何故かカッコいいイメージがある。
それが海外SFならなおさらである。


誰かと話していて、話題が海外SFになったとき


「えぇ。もちろん私も嗜んでいますとも。海外のSFをね。」
「ほほう…。さすがですな。どのような作品を?」
ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』も好きですが、
 最近はアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』なども…」


などと眼鏡をクイクイ中指で押し上げながら優雅に語り合うのはカッコよさの極みであるとさえ思っている。


SF素人な上にSF好きな知り合いもいないため、このセリフをいう機会はなかったが
このような場では作品名を言う前に著者名を言うことが重要なポイントではないかと勝手に思っている。
なぜかというと、著者名を言うことで「私はこの著者の作品を大体押さえていますが、その中でもこの作品が特に好きですよ」
という「私は結構SF読んでますよ」というイメージをそれとなく相手に伝えられそうだからである。


残念なことに私は上記2冊の本しか読んだことはない。
つけ加えると普段はコンタクトレンズなので眼鏡もクイクイできない。


それでも少しでもこのカッコよさを醸し出すために、SFの名作を読んでおこうと選んだのが
この『虎よ、虎よ!』という本なのだが、何が面白いのかさっぱりわからない。
面白いポイントすらも掴めない。


巻末で翻訳者の浅倉久志

眩惑的な技巧、惜し気もなく繰り出される無数の小アイデア、たたみこむようなテンポと、切れ味のいい文体、華麗な退廃趣味、洗練された会話とワサビのきいたユーモア…

と作品の魅力を語っているが、どれもこれも味わうことができなかった。
どれが小アイデアだったのか、ユーモアだったのかさっぱりわからない。
最後のフォントいじりみたいなやつのこと?


それでも名作なんだからオチとかが凄かったりするに違いないと、退屈なのをガマンして最後まで読んでみたが、それほど凄くもない。残念なことに私はSFに向いていないのではないだろうか。


そもそも翻訳という作業を通した文章にひどく違和感を感じて内容を純粋に味わえてない可能性が高い。ような気がする。
慣れれば面白くなるのだろうか。


とりあえずSF素人としての『虎よ、虎よ!』の感想は
「つまらない。面白さがさっぱりわからない」